2017年3月31日金曜日

長崎原爆が炸裂してきのこ雲の発生したカラー画像

長崎原爆となるファト・マンを投下したボックスカー(V77)は、一連のきのこ雲までの発生過程をカラー映画で撮影した。日時は1945年8月9日10時55分、高度2438mと記載する。プルトニウム原爆が核分裂して炸裂し、朱色や黄色の多彩色の火塊が回転と膨張しながらきのこ雲が発生した。火球は太陽の表面温度を越して急上昇して急冷却し、外気を取り込みきのこ雲を形成する。爆発の威力は、高性能TNT爆薬の2,200トンに相当した。核分裂で放出された放射線が、空気中の原子に衝突して高エネルギーを発生して上昇気流を起こす。



2017年3月29日水曜日

広島原爆の炸裂15分後のきのこ雲の航空写真

広島原爆であるリトルボーイがエノラゲイB-29から広島市内の中心部に投下された。1945年8月6日午前8月15分に広島市に炸裂した。その直後から15分後の航空写真には広島市内の全体が原子爆弾により爆裂した。中心部の赤い茎から紫色の炎とキノコ雲が燃え上がる。高度は9400mから目視による照準で落下傘で投下された以上の高度までキノコ雲が舞い上がる。原爆による爆風により広島市内は全壊ならびに黒煙に覆われて一気に全焼した。右下が広島市の東南端から左下の西南端は軍事工場群である。



2017年3月28日火曜日

アメリカ軍が作成した長崎原爆の3日後の被爆状況図

アメリカ軍は長崎原爆の被害状況図を作成した。アメリカ軍の戦略爆撃調査団が、長崎原爆投下の3日後の1945年8月12日に撮影した長崎市の航空写真と地上調査に基づき作成した。人口密度は濃淡2色に色分けした上に、被爆地域を爆風と火災による5つの被爆状況に分類した。青が全壊、ピンクが全壊全焼、橙色が全焼、青緑が半壊、青緑の斜線が建物疎開、紫はその他の地域を示した。爆心地からの距離を350mごとに同心円で示した。



2017年3月27日月曜日

広島原爆の被災地図と人的被災と物的被災の実態

  広島市内における1945年8月6日に炸裂した広島原爆の被害状況の地図である。1945年11月30日の広島県警本部の発表によれば、広島市内の利用面積は3,306万㎡のうち被災面積は3,341万㎡(92%)、焼失面積は1,322万㎡(40%)に達した。民間人の人的被害状況は、死者は78,150人、重傷者9,428人、軽症者27,997人、行方不明3,983人、被災者176,987人で合計306,645人に及ぶ。赤半線内は焼失地域であり、建物数の76,327戸うち92%が被災して、全焼戸47,969戸、全懐戸3,818、半焼半壊18,369戸であった。赤半線内は焼失地域であり、広島市細工町19番地の爆心地から、青半線は爆心地より半径0.5km, 1km, 1.5km, 2.0km, 2.5km, 3.0km, 3.5km, 4.0kmの各500mの範囲の距離を示した。赤丸◯は軍隊諸部隊と青丸◯は救急救護所の配置である。(広島原爆医療史、1961年)



2017年3月26日日曜日

長崎市はポツダム宣言の直前から原爆目標に追加された

 長崎原爆投下する作戦計画のために多数の航空写真をモザイクのように組み合わせて、長崎市内の攻撃目標を1945年7月に策定した。7月26日のポツダム宣言の直前の7月24日に長崎市が初めて原爆目標にされた。長崎原爆であるファット・マン(F31)の投下目標地点を示している。長崎市内の三菱製鋼・兵器工場であるNo.90.36-546を攻撃目標とした。写真上の114601である常盤橋を落下の照準地点とした。常磐橋から賑橋の周囲から7,500フィート(約2.3Km)の南北約2.5Km, 東西約1.5Kmの爆撃地帯を示した。航空図面はボックス・カー(V-77)のB-29の操縦者、爆撃投下者、観測者等が使用した。8月9日の投下地点は照準点から北北西約3.4Kmも離れた地点である松山町171番地上で炸裂した。


2017年3月25日土曜日

広島原爆の投下目標がモザイク航空写真策で策定された

広島原爆投下する作戦計画のために多数の航空写真をモザイクのように組み合わせて、広島市内の航空写真を1945年4月に策定していた。7月16日に原爆実験が成功する3月以前から広島市が原爆目標計画にされた。広島原爆であるリトル・ボーイの投下地点を示して、広島市内の相生橋である目標基準をNo.90.30と指定した。相生橋を中心(東西の目盛: 063, 南北の目盛: 096)として半径70,00フィート(2.13Km)の同心円を描いている。航空図面はエノラ・ゲイB-29の操縦者、爆撃投下者、観測者等が使用した。


2017年3月24日金曜日

原子爆弾の投下は科学的実験記録も第一目標

長崎原子爆弾を搭載したボックス・カー(Bocks・Car)には、写真撮影機が1機と観測記録機の1機が随伴した。長崎原爆の画像と動画を撮影することを目的した。原爆の威力を観測して記録する目的で科学要員を搭載することを投下命令書の第一命令とした。長崎原爆の投下直前に落下傘で落下した観測記録ゾンデが長崎市内で発見された。威力・爆圧・熱温・放射能等を測定した。終戦後に米軍は直ちにゾンデを回収して極秘資料とした。



Hiroshima Peace Memorial Museum, 360° View (15%) East Floor, Hiroshima Atomic Bomb, Music Editor

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